スポーツにおける暴力と、スポーツ教育の在り方

21日の朝、TV神奈川で放送されているBBCニュースで、トンデモナイ報道を見た。集中して聞いていた訳ではないので、若干不正確な所はあるが、概ねこんな感じだった。
学校などの日本のスポーツの現場で、暴力が横行していると...。暴力は日本独自の問題ではないが、日本では柔道で百数十人が死んでいる程の暴力が横行している程、問題が大きいと...。そしてこの国でオリンピックを開くのは...と。この報道には悪意を感じる。
左翼系の活動家は良く真実とウソを上手く混ぜ込ませるが、これはかなり酷い報道だが、真実の部分は傾聴する必要がある。
調べてみると、”中学・高校の学校内における柔道事故の死亡者は、1983~2011年の29年間で、実に118人に及びます。”とあった。そして、”2012年から2014年の死亡事故の発生は0件で、2015年と2016年に合計3件の死亡事故がある。”と...。
認識されていない人も多いと思うが、柔道はもっとも危険なスポーツで、この様な死亡事故がある事は大きな問題ではあるが、これとニュースで元々云っている暴力とは違う話である。暴力的な練習で死亡する事はあるだろうが、柔道は元々危険なスポーツである。

その後、民放TVのお昼の番組でもこの報道があった。そこで云っていた暴力とは、勿論肉体的な暴力も含まれるが、パワハラ・セクハラや無理に沢山の食事を取らせるなども含まれているとの報道で、BBCとはかなり違った報道になっていた。そしてこれを調査したのは”ヒューマン・ライツ・ウォッチ”と云う団体との事だった。

 

この報道そのモノや団体について触れるのはここまでとして、実際問題として学校を中心とする日本のスポーツの現場での暴力は存在する。ここではセクハラやパワハラなどの広義の暴力は含めず、肉体的または言葉による暴力を中心に考えてみたい。
結論から云うと、その原因は大きく3つ有る。一つ目は我々日本人が受けついてきた家庭内での教育の在り方である。二つ目は再三述べているが、子供達、そして日本人全般的な自立心の欠如からである。そして三つ目は、”教育”に対する考え方の履き違いが原因である。

 

家庭内での教育は、その国の文化や歴史が影響しており、各国それそれに違いがある。勿論、各国に良い所と悪い所がある。日本の家庭内教育には良い所が沢山あるが、此処では悪い所を云いたい。それは日本の家庭では、やはり暴力が残っている。自分の子供の頃は、”殴る”は当たり前に有ったし、また言葉による暴力やなじられる事はそんなに多くは無いが、”褒められる”事は殆どない家庭が殆どであったと思う。学校の部活では、先生や先輩からの暴力や暴言は当たり前の世界だった。なんな環境で育った自分が大人になり、子供を育てる際には、なかなか変われないモノである。流石に暴力はしていないが、褒める事などの自分が受けてこなかった育て方をするには試行錯誤が必要だ。スポーツの指導者も同じで、自分が育つ際に受けた教育から抜け出す事は難しい。この様な家庭環境で育った子供が大人になると、どうしても同じ様になってしまう。
これを変えるにはやはり教育だが、ここまで書いた様に家庭内での教育のみでは限界がある。ではどうするか...。

 

解決策として、TVドラマや映画などの制作者に理想的な教育シーンを時には入れてもらう。但しこでだけでは不十分なのだが、理由はUSの映画やドラマを結構沢山見ていて、頭の中ではわかっている積りだが、中々実践できないからである。となると、実践的な教育が必要になる。欧米などの大企業では、随分前まら実践的なマネージャ研修を行っていて、マネージャとしての振る舞い方の研修を行っている。実践の内容は、例えば様々なケースをドラマ仕立てで再現し、受講者にその是非を判断されるモノがある。そのお陰で、現在一般的認識されているマネージャとしての振舞いは出来ていると思っている。しかし親としては自信がない。子供の親が給付金を受ける条件として、何等かの親としての教育を受ける事を条件として実戦的な教育を受けさせる事はどうだろうか?そして教育者にも同様に、子供達に接っしかたについての実戦的な教育を施す事は可能だろう。

二つ目の自立心の欠如に対する対策はもっと難しい。理由は、暴力的な家庭内外の在り方についての問題点あある程度認識されているが、この自立心の欠如はあまり認識・共有されていないからだ。日本おn学校教育や企業では、強制的に教えて伸ばすやり方を長年してきている。実際、現状の日本の起業では強制的に教えないと育たない日本人が多くいる。現在の多くの企業では、教育にあまり時間とお金を掛けていないので、自立心の無い日本人よりも、自立心のある外国人を採用する企業が多くなってきている。実際、自分が属しているコンサルタントの世界では、日本人力量に見劣りし、自立心及び自分自身を向上させる努力をしている外国人の比率が大変多くなってきている。日本の企業は日本人を教育して日本人を活用するよりは、自立している外国人の採用をし易くなる仕組みを国に求めている事が、対応策に難しさがある。
日本人で自立している人はごく一部の”超”が付くほどの一流の人などに限られている。スポーツ界であれば、野球の落合、野茂、イチロー。サッカーでは、中田、中村、本田。そしてオリンピックで狙って金メダルを取った人達等ではないだろうか。但し、彼等であっても多くは強要される練習のみで満足している時期も有ったかとと思われるので、多くの日本人は自立心の重要性に気が付いていないと思われる。王貞治であっても荒川氏からの強力な指導があっての”世界の王”である。それを経ての自立心である。

 

対応策の前提として、日本の社会が日本人の自立心の欠如を”課題”として共通認識する事であるが、考えられる対応策は幾つかある。その一つは勉強しない人間は落第または退学させる高等教育である。そして努力した人間には飛び級もOKとする飴と鞭の両輪が必要だ。あくまで高校以上においての対策である。
小中学校においても、1年程度の飛び級はあっても良いが、退学や落第はさせたくはない。但し、此処でも手取り足取り教える教育ではなく、自ら学ぶ教育方法に変えていく必要がある。実際、一部の自治体または学校では、実践している所もある。そして、一クラスをもう少し少なくする事だ。

 

三つ目は、”教育”に対する考え方の履き違いについても、しっかり議論する事が大事だ。教育者は社会に役に立つ人間を育てる為に存在している。直接的には不必要な教科であっても、思考力・分析力・打開力、共感性・協調性、体力の増強と健康の推進、そして個々に持つユニークな能力の発見と醸成が役割りである。学校でのスポーツは何のために存在するのか、教育者がよーく考える必要がある。日本では、”超”一流でもないのに、スポーツの事しか知らない人間がゴロゴロいる。日本はある意味良い国なので、その様な人間で高卒であっても、ある程度収入を得ている人が多いので、これも”課題”として認識されていない事も問題である。その為、高収入の仕事に日本人が少なく、外国人が入っている事にもなっている。お金がすべてではないが...。
解決策だが、先ずは既に述べた様に、学校教育でのスポーツの役割を今一度考える事である。そして2番目として中高における部活実施日の削減(平日は週3日までで、日曜日の部活の禁止または土日のどちらかのみ)、3番目として部活のシーズン制(オリンピックレベルを除いて1年中行わない。)、そして科学的なスポーツ指導の推進、等が考えれれる。