コンサルタントの課題認識と解決策:パワハラ

今年の後半ににぎわせたスポーツ界のパワハラ問題。この報道もバランスが悪く、また根本的な問題点を整理できていない。単なるパワハラしたとされる人を非難し、社会から葬る事だけを行っている。そして非難している人達(マスコミ)は、自分は絶対にパワハラしないと言いたげに...または自分が行っているパワハラを棚上げして...。傍から見て、TVなどのマスメディアはパワハラの巣窟に見えるのだが...。

 

我々日本人の特徴として、以下がある。
①日本人は一般的には勤勉ではあるが、自主的に努力しない場合がある。
②上下関係(主従関係)
③精神年齢や自己の主張・考えの幼稚さ。

 

①日本人は一般的には勤勉ではあるが、自主的に努力しない場合がある。
この”努力をしない場合がある”の表現は、若干玉虫色の表現をあえて使った。何故なら、他国民にくらべて努力する処もあるが、努力が劣っている所もあるので、一概には云えない。具体的には、モノ作りにおける日本の匠の努力には感服する。一般的な日本の製造品の品質は、やはり世界一と云って良い。これはある面では努力の賜物であるハズである。しかし一方では、自主的な努力を行わない場合もある。分りやすい例が、スポーツの世界だ。
個人的な意見だが、多分日本人は、単純労働的な地道な作業の継続には耐えられ、品質の向上や、”匠”と云われる人達が多くいる。一方、ある一線を越えた、肉体的に追い詰める領域にまでは、自主的にはあまり努力しない人種なのだろうか...。今回は、その理由を突き詰めるのが目的ではないので、この辺りで留めておこう。

 

日本の社会では、プロスポーツであれ、一般の企業であれ、教える側次第で選手または社員の伸び・成長が違ってくる。分りやすい例としてプロ野球の現状を見れば、一目瞭然であろう。
プロ野球の春のキャンプ。日本では一律2月1日にキャンプに入り、コーチが選手を鍛える方法を取っている。一方USではトレーニングは各自行い、キャンプではあくまで連携の練習や選手の仕上がり状況の確認を行う程度の様だ。競争の厳しいUSでは、自己管理でのトレーニングをしっかり行わない選手は生き残れないので、1流の選手はしっかり自主的にトレーニングしている。

 

中日で監督をした落合氏は、「練習はウソをつかない」とか、「選手は練習していない」と云っていた。真のプロである落合氏本人は自分の判断で相当練習していたのだろう...落合流(オレ流)で。その落合監督の下で、選手は今まで経験した事がない量&質の練習をしたのだと思う。その結果、中日は何度も優勝し、そして落合監督が去った後の中日ははっきり云って弱くなった。
日本のスポーツは全般的に、指導者次第で強くなる傾向がある。厳しい練習を課す指導者次第で...。バドミントン、シンクロナイズド(今は名称が変わったが...)、女子レスリング、男子柔道、...。実例は沢山ある。日本人は、残念ながら育てないと、育たないと云える。落合監督と中日の例は、一番わかりやすいのではないだろうか。

 

一般企業でも同じ事が云える。企業が社員を教育しないと、社員は育たない。自ら高いレベルを目指した勉強する人はごく一部。自分が昔属していたS/Wメーカでは、外資系なのに不思議な事に、社員を教育する風土が根ずいていた。なので、そのS/Wメーカの社員はそこそこのレベルに達していた。しかしながら、そのS/Wを使って販売している外部のベンダ(コンサル企業)のレベルが大変低く、マトモな教育もせず、使い捨ての様な社員の使い方をしていた。それをメーカとベンダとの差と行ってしまえばそれまでだが、USの外部ベンダ(コンサル企業)の社員のレベルは大変高かった。それは自分で情報を仕入れ、勉強し、自ら教育しているからに他ならない。だから、日本のコンサル会社やS/W会社で海外で成功している企業は大変少ない。海外では通用しないのだ。

 

この辺りの課題を解決するには、自主性・自立心をどう醸成するかによる。それは教育の仕方を変える事が、一番大事ではないだろうか。指導や教えられる事で育つのではなく、子供達(または若い人達)が自立する為に、その手助けをする関係を築く事が大事ではないだろうか。それには、自分で考える力を養っていく、自分で考える事を習慣化する事が、大人の役目ではないだろうか。

 

②上下関係(主従関係)
日本の社会では少なからず儒教の教えが生きていて、上下関係がある。小さい組織では家族的な形になりがちだし、組織の中で年齢差がある場合は、親子関係の様な場合もある。これを良いとか悪いとか云う積りは全くがいが、これによる弱点(課題)を理解し、意識する必要がある。

 

サッカーの世界では、多少の年齢差も気にせずに、タメ口で会話しているらしい。と云う事は、日本のこの上下関係も変えられる可能性があるとの事になるが、現実は難しいであろう。ただ昔は、子供の頃の遊びは近所の子供同士で遊ぶ機会が多くあったので、上下関係も今よりは少なかったのではないかと感じる。今は、同じ年齢の子供同士でしか遊ぶ機会がないので、反って上下関係が強くなっている場合もあるのではないだろうか。

 

この課題を多少なりとも解決するには、幼い頃から様々な年代の人と接する機会を設ける事だろう。欧米では、子供を子供として扱う事は少なく(日本との比較論で)、子供も臆せず大人と会話している。それは、子供の頃から親や学校の先生以外の大人と接する機会が多いからである事と、子供であっても一人の人間として尊重しているからである。決して、子供扱いしない。この”一人の人間として尊重する”事が大変重要で、この考えは企業などの組織の一員になってから一番効いてくる。それは、様々な組織内外での利害がぶつかる時、人としての尊厳を大事にするか、企業の組織の一員(または上下関係)を大事にするか...。欧米では前者が優先され、日本では後者が優先される傾向にある。
それから、家族内での会話が日本の家庭よりは多い。これも見習ってはどうだろうか。
そして学校内では、学年を跨った交流に多少時間を割くのはどうだろうか?

 

③精神年齢や自己の主張・考えの幼稚さ。
今まで何回か述べたが、戦後の進駐軍軍人が、日本人の事を「精神年齢は小学6年生」と云ったと聞いたことがある。それを云った軍人の多くは読み書きすら出来ないのに...。自分自身がアメリカに留学した時に、自分の意見の無さ、考えの幼稚さを実感し、変わろうと努力した経験もある。

 

残念ながら、我々日本人は、様々な事象について、自分の考えを述べる事が決して得意ではない。戦後よりはよくなっているし、我々年よりよりは、若い人ほど良くはなっている。しかし欧米人などの外国人を比較すると、まだまだ改善の余地がある。
話す能力は、親の話す能力に影響するらしく、我が家庭ではどうだったかを考えると、決して自慢できるモノではない。良い訳になるが、やはり家庭での教育方法は、自分が経験したモノから大きく変える事は難しいからだ。映画やTVドラマをみると、アメリカのそれと日本のそれとでは、かなり違う。また、レストランでの会話で、欧米では隣の席からアカデミックな会話を聞く事も時々あるが、日本では滅多にない。まぁ日本のその様な人達は、もしかしたら料亭の個室で食事をしているのかもしれないが...。

 

家庭で出来ない事は、やはり学校教育に頼るしかない。そして期待薄だが、TVなどのマスメディアを通じて、世論・世相を少しずつ変えていく。自分の意見・考えを整理して伝える訓練が、生活や教育の中で、育んでいくしか、変わる事はなかなかできない。先ずはみんなが自分達の弱い所を理解し、どうすべきか考える事から始めるしかない。

これらを解決できても、パワハラは残る。しかし、これらを実現する事で減らす事はできるのではないだろうか。そして、パワハラが起こっても、自ら解決する能力を付けることができる。